大野 晋 著
p193
授受の動作の敬語
さて、授受の動作については、特別な言葉づかいがあります。それは次の三つに分かれます。
A 与える動作
B・C 受け取る動作
A-1 与える動作をするときに、与え手ガ対者を高く扱う。サシアゲル・アゲル。
さあ、おじいちゃまに唄ってさしあげなさい。(野坂昭如『アメリカひじき』)
君をどうしてあげることも、僕には出来ないんじゃないか。(川端康成『雪国』)
かんにんえ!かんにんえ!今治してあげるから!今じきだから!(三島由紀夫『金閣寺』)
アゲルは『上に位置をかえる』こと。つまり動作を上の相手にすること。自分の位置を低める謙譲語です。
A-2 与える動作をするときに、与え手ガ対者を低く扱う。ヤル・ツカワス・クレル。
菓子を買ってやるから一処にお出でといって…‥(樋口一葉『にごりえ』)
思うさまソノ鼻を引擦ってやるんだ……(二葉亭四迷『くされ縁』)
狐も、芋粥が欲しさに、見参したそうな。男ども、しゃつにも、物を食わせてつかわせ。
(芥川龍之介『芋粥』)
ヤルは「遠くへ行かせる。結果はどうなってもかまわない」ということ。相手を低く扱う。
ツカワスは本来、命令して行かせることですから、相手を低く扱っています。
クレルを自分の動作に使うと、自分が恩恵を相手に与えるわけで尊大語になります。
一発かましてくれよう
一発殴るという、相手の不利なことを、恩恵として相手に与えるわけで、尊大表現です。
B-1 与えられるときに、受け取る側ガ対者を高く扱う。イタダク
このノートはしばらく貸していただけませんか。(太宰治『人間失格』)
ほんの子供ですから、駅長さんからよく教えてやっていただいて……(川端康成『雪国』)
イタダクは、「頭の頂点にのせる」こと。自分で相手から受け取る場合、相手を高く扱う言葉です。
B-2 与えられるときに、受け取る側ガ対者を低く扱う。モラウ
広さ一寸長さ二尺ばかりの板で、鼻を持ち上げていて貰う事にした。(芥川龍之介『鼻』)
私は貫一さんに殺してもらいたいので御座います。(尾崎紅葉『金色夜叉』)
モラウは古くは食べ物を恵むようにたのむことでしたから、このごろは対等または低い扱いに寄っているようです(それで、図では低い扱いながらカッコを付けておきます。)
C-1 (受け取る側からみて)対者ガ高い位置から低い位置の人に与える。クダサル・クレル。
それはいや。どうしても今日片をつけて下さらなければ……(志賀直哉『痴情』)
何卒皆さんへも宜敷く仰って下さい。(島崎藤村『破戒』)
着物を脱ぐと、雪江さんが後からフワリと寝衣を着せてくれる。(二葉亭四迷『平凡』)
さあらぬ体をつくろいつつ、内実は自分を恋うてくれていたのか。司馬遼太郎『国盗り物語』)
クダサルは、「下す」という動作が自然的に成立するということで、対者を高く扱っています。クレルとは、恩恵として、あるいは好意をもって物事を与えることです。どちらかといえば、上下を示す敬意の表し方としてはクダサルよりは弱いといえるでしょう。
ただし、困ったことを子供がしてしまったときなど、
とんでもないことをしでかしてくれた
といえば、これは不都合な恩恵が与えられたことになり、迷惑の表現となるわけです。
C-2 (受け取る側からみて)対者ガ低い位置から高い位置の人に与える。ヨコス。
わざと身体不自由な老人をよこす……(野坂昭如『焼土層』)
駒子ちゃんがこれよこしました。 (川端康成『雪国』)
二人を世話してよこしたのである。(志賀直哉『流行感冒』)
ヨコスといえば、相手を重く扱わず軽くみていることはたしかです。ときには迷惑になることもあります。
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以上が抜粋となりますが、C-1の「クダサル・クレル」の本来の意味は興味深いですね。
JBP1のLesson 4と5で「〜をクダサイ」が導入されていて、「 I'll take 〜/ give me 〜 」という対訳が教科書には示されています。しかし、これら「take」や「give」を動詞として説明しても、この時点では理解できないので、生徒への説明はただ単に「〜 please」に留めるようにしています。後に導入する「て形」で「て形+クダサイ」を導入する際にも、「please V 〜」としてスムーズに理解できるからです。
しかし、Lesson 13で「クレマス」の導入ができたなら、C-2の説明にあるように、「モノ」や「行為」が上から下への方向で自分に施される旨を理解させることも可能でしょう。
買い物でお客が店員に「クダサイ」を使うのは、お客の方が謙った表現を使っていたんですね。日本人の奥ゆかしさが、こんなところにも残っていたのだと驚かされました。
<以上>
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